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新英語教育研究会神奈川支部HP

新英語教育研究会神奈川支部HP

★2006 國弘 正雄さん

●講演会: 『異文化に橋を架ける通訳・翻訳そして外交』 
        
        國弘 正雄さん(エディンバラ大学特任客員教授・元参議院議員)
2006年10月7日(土)18:30~20:00 
立教大学池袋キャンパスキャンパス8号館8101教室
                   
 少年期を過ごされた東京で芽生えた探求心と青年期を過ごされた神戸で培った情愛と話術。この東西文化の融合の賜物ともいえる「國弘節」を参加者は堪能しました。『口先労働者』と自称される國弘さんは今年76歳。「老耄(ろうもう)にうんざりしている」「ことばを扱うことはこわいこと。十分やった。もう結構!」とおっしゃっていましたが、懇親会の席で、旧友にして現役の通訳者・小松達也さん(クリント・イーストウッドの通訳を前日にされた!)に「がんばれ」と叱咤された國弘さん。もっともっと私たちにお話してください。講演、ありがとうございました。

(1)はじめに ・ 國弘正雄さん:「同時通訳の神様」と呼ばれた同時通訳のパイオニア。日本の異文化コミュニケーション研究の草分けであると同時に、三木武夫首相の外交ブレーンとして日本の外交関係に深く関わった。(説明パンフより)
・ 略歴:1930年生まれ。1965年サイマルインターナショナル代表取締役就任。外務省参与として先進国サミット(第1;2回)で活躍、「日本外交のキッシンジャー役」(毎日新聞)と評された。NHK教育テレビ講師(11年間)、日本テレビの国際キャスター、ラジオ「百万人の英語」講師、参議院議員。専門は文化人類学、異文化間伝達。
・ 著書:「英語の話しかた 国際英語のすすめ」(サイマル出版会)、訳書にD・クリスタル著「地球語としての英語」(みすず書房)、C・オーバビー「地球憲法第9条」(講談社、講談社インターナショナル)、など著訳書は70冊以上。
・ 後援:同時通訳の愛弟子・鳥飼玖美子さんが教授を務める、立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科主催1、日本通訳学会共催。
・ 鳥飼玖美子さん:鳥飼さんが上智大イスパニア語学科2年の時、同時通訳がしたいと人を介して会ったとき、國弘さんは「玖美子ちゃん、いつか自分の歌を歌いたくなるよ(=人の通訳をして収まる人じゃない、自分が主体になりたくなる)」と同時通訳者になるのを反対したという。しかし鳥飼さんは志を曲げなかった。「頑固なんだよ…」と國弘さん。

(2)異文化 ・ 要旨:「長年に渡る経験を、異なった文化に橋を架けるという視点から語っていただき、異文化コミュニケーションとしての通訳、翻訳、さらに外交について考察を深める」(説明パンフより)
・ 異文化に架橋することが日本には必要:「フランスでゴルフをしていて、右にボールが曲がったらベルギーで、左にボールが曲がったらオランダに行く」というように各国が隣接したヨーロッパ地域とは異なり、日本は孤立しておりアジアの隣人との関係がスムーズではない。
(3)「ことば」「こと」「こころ」 ・ 「ことば」「こと」「こころ」:本居宣長のことは国粋主義っぽくって、嫌い。大和心と唐心(からごころ)では大和心が上だということを言っている。「ことば」「こと」「こころ」を、三位一体としてとらえる。「ことば」を修めようとした場合、その背後にある、「こと」を知らなければならない。「ことば」だけを追ってもダメ。軽薄なペラペラ族になってしまう! 「こと」とは事物と概念(concept)、「こころ」とは観念。
・ 1999年の講演でのコメントから:日本人は他言語の習得で時間と精力を割かれ「ことば」の次元で燃え尽きてしまう。そして「こと」や「こころ」まで手が届かない。時事英語好きはゴマンといるが、時事問題には無関心という学生も多い。これでは「ことば」のみあって「こと」なし。本居宣長は古歌の心を理解しようとするならば自身で「古歌ぶり」の歌を詠みなさい、自分で作ることに苦労すれば、他人の作品が身にしみて分かる、と言っている。英語も書いて話す能動的な英語が求められている。
(4)アメリカ研究 ・ 立教大学とアメリカ地域研究:「立教大学に敬意を持っていた」とおっしゃる國弘さん。英文科はたくさんあるがイギリス一辺倒だった時代にアメリカ文学をやり、敗戦後すぐにアメリカの地域研究(area study)を研究し始めたのがすばらしい。
・ 國弘さんのアメリカ地域研究:著書『現代アメリカ英語』『アメリカ英語の婉曲語法』はアメリカの地域研究の一環といえる。

(5)翻訳と通訳
・ 同時通訳のエピソード アポロの月面着陸:「通訳者としてはいい加減だった!」とおっしゃる國弘さん。1969年のアポロ11号の月面着陸の同時通訳をNHKで行った。NHKで「トークショー」という番組をやっていたため白羽の矢が当たったのだが、嫌なので仕事で山梨の清里に逃げていたらNHKの人が来て「こちらにも考えがある…」と言ってくるので不承不承やることにしたところ、実際やってみると、38万キロ離れた月からの音声は雑音ばかりで音が聞こえない。「鼎[かなえ]の軽重[けいちょう]を問われる(=世間で言われるようなすばらしい能力や価値があるのか改めて試される)のはこういう時だ。通訳はなんでもいいから口を動かして言ってください」とNHKの人が言う。宇宙飛行士が玄武岩(basalt)を拾っている状況で12,3分のあいだに聞こえたのはnatureらしき1語だったので(訳すのではなくて)「なんて作文、しようかな~」と思った(!) そこでnatureを「組成」と考えて「月の組成を明らかにしようと思って玄武岩を掘っています…」と言ってみた。そして次も聞こえたのがnatureだったので「…、地球の組成をも明らかにしようとしています」と言った。そして、30分後に文字になって送られてきた英文はまったく違っていた! 「そう訳した、かつての自分がいとおしい」と懐かしそうに語られた國弘さんです。
・ 翻訳のエピソード:翻訳はずいぶんやったが「國弘さんのえらいところは下訳をほかの人にさせていないことでね!」とのこと。ところがかつて、ライシャワー著『The Japanese』を翻訳出版したときにある人が「翻訳を自分でやるべきだ」と文藝春秋誌上で批判してきて、悲痛な気持ちになった。「肉筆の原稿を見てから言ってほしい。翻訳は労多くして功少ない作業かもしれない…」。
・ 翻訳と日本語:翻訳は「國弘節」だといわれるが、漢語が多いのが特徴。父は漢文ができて、5~6歳の國弘さんを漢文の素読に強制的に通わせていた(行かないとビンタされたり、関西風に言えば「どつかれたりした」そうです…)。今は感謝している。
・ 音読の効果:「音読を徹底してやると母語がきちんと身につく。母語がきちんとできて外国語が身につく」 川島隆太教授は音読が脳を活性化すると言っている。(川島教授はスウェーデンのストックホルムにある医科大学のカロリンスカ研究所に留学。「きっとノーベル医学賞を5年以内にとる!」と國弘さんは予言するが「最近、表に出すぎて筆が荒くなっている」と苦言も…)。

(6)外交
・ 外交上、通訳や翻訳が災禍をもたらした例(その1):終戦直前の鈴木貫太郎内閣のときにポツダム宣言を受諾するかどうかのときに、(「今の時点ではとりあえず言及しない」という含みがあるようにも取れる)「黙殺する」と言ったのをロイターとAP通信でreject(拒絶する)と訳したため、連合国は日本に何をしてもいいと考えたと言われているii。仮定法過去完了を使えば「もしあのときにrejectを使わなければ原爆は落ちなかったかもしれない」となるが、実際はトルーマンはそれ以前に広島に原爆を落とすことを決めていたとも言われており、このrejectという誤訳のせいとはいえない。この経緯は半藤一利『聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎』 (PHP文庫2006)に書いてある。
・ 外交上、通訳や翻訳が災禍をもたらした例(その2):関東大震災の直後、アメリカでは、カリフォルニアの2%が中国人ということがあり、移民の排斥運動が起き、排日移民法iii(実際は日本だけでなく中国人も該当しており「排日」というのは誤訳)が検討されていた。ヒューズ国務長官(ウィルソンと大統領を争った)と埴原(はにわら)駐米大使は対談し、「こんな案を通したらGrave consequences(重大な結果)になる」と埴原が言ったと論じられた。このGrave consequencesとは英語では戦争を意味する。「政治にはデマゴギーがつきものだ」。
・ 翻訳とは…:「翻訳とは横のものを縦にするようなものではない。民族や国の運命がかかわることが結構ある。国益という言葉は嫌いで使わないけれど、国益がからんでくる。」

(7)生い立ち
・ 探究心が芽生えた小学生時代:東京(大田区蒲田)生まれ。池袋の(立教大学のすぐそばにあった)豊島師範付属小(現在は小平に移転し、東京学芸大学付属小)に片道1時間半をかけて通った。「よくこの少年は耐えた。小学校1年生に片道1時間半、よく通わせたな。(もう亡くなっているけれど…)親の顔が見たいよ!」と親へのうらみつらみを述べられた後、「でも今は感謝!」 
 蒲田から池袋までの行き方を「蒲田~田端~池袋」「蒲田~品川~池袋」「蒲田~東京~新宿~池袋」の3通りを小学1年で考え出した。「小1にしてはませた奴だったな、熟した奴だったな~と思う」。ここに探究心の萌芽がある。
・ 関西と司馬遼太郎さん:東京6中(現在の新宿高校)から中3で神戸1中へ。作家の司馬遼太郎さん(東大阪に住んでおり関西人だった)との交流があり、東京出身の國弘さんは司馬さんから「國弘、(そういう物言いは)、東夷[あずまえびす]の野蛮やで」と言われた。司馬遼太郎さんとライシャワーさんとの対談の通訳を帝国ホテルで6時間にわたって行った。ライシャワーさんは司馬さんの話す日本語がわかるので英語を日本語にするという一方通行の通訳だったが、たいへんな仕事だった。その対談は司馬 遼太郎『対談集 東と西』(朝日文庫1995)という本になっている。

(8)質疑応答
・ Q1:小学校での英語教育については?
A1:反対なの! 他にやる事がたくさんある。日本語だ! 小学校高学年や中学生で(愛知県ではなくて)「名古屋県」Nagoya Prefecture !?、(岩手県ではなくて)「盛岡県」があると思っている人がいると塾で教えている人に聞いたことがある。英語をするのは、まず日本の事物を知ってから。
・ Q2:三木武夫首相は核の持ち込みについてどう言っていたか?
A2:記憶にないが…。三木睦子夫人は89歳で憲法9条の会をやっている。尊敬し(怖いので)畏敬している。会うと「國弘さん、なにやってるの!」と怠惰を責められる。仕事が足りないと思われている。(このあと女性ですばらしい人ということで澤地久枝さんや亡くなった鶴見和子さんに言及された)
・ Q3:三木武夫首相とRepublicanやConservativeで交流のあった人は?
A3:マンスフィールド駐日大使(Michael Joseph Mansfield 1903-2001, 98歳で没)やマスキー国務長官。マスキー法(Muskie Act)は水質汚染(water contamination)や大気汚染(air pollution)を規制する1970年の法律だが、マスキーから話を聞いて、三木さんは環境庁長官時代に先駆けて日本で法律を作った。当時の日本は大気汚染がひどく、東京から年に5日しか富士山が見られないといわれた。
フルブライト上院議員はニクソン政権のころ、いっしょにテレビを観ていて画面にニクソンが出てきたのを見て「このidiot box(馬鹿の箱=テレビのこと)がなかったとしたら、ニクソンは大統領になっていなかったよ」といまいましそうに言っていた。(このあと歴代でダメな大統領の話題になり、43人のうち鶴見俊介氏はブッシュが42番目で27代目のハーディングが43番目と言っていた、ということでした)。
・ Q4:通訳者としてのモットーは?
A4:「くらしは低く、思いは高く」
・ Q5:日本語の「すみません」は英語のI’m sorry.とは違う、と英語の教科書にあるが…、どう思うか?
A5:ケースバイケースなので機械的にイコールといいたくない。「ことば」「こと」「こころ」がついてまわるので、「なになにイコールなになに」とはしたくない。

2006年度連続公開講演会の第6回目。次回は10月30日(月)、シーラ・ラムゼイ氏による講演「パーソナル・リーダーシップ クリエイティブに文化を超える!」がある。(問い合わせ 電話:03-3985-4732 メール:irw@grp.rikkyo.ne.jp)
 政府は、7月27日にポツダム宣言の存在を論評なしに公表し、7月28日に読売新聞で「笑止、対日降伏條件」、毎日新聞で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道された。鈴木貫太郎首相は同日、記者会見し「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」(毎日新聞、昭和20年(1945年)7月29日)と述べ、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された。この「黙殺」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。(Wikipediaによる)
 排日移民法(はいにちいみんほう):1924年7月1日に施行されたアメリカ合衆国の法律である。同国への移住を希望する各国の移民希望者に関して国別の受入数制限を定める内容であったが、日本人に関しては移民入国が全面的に不可能となる規定をもっていた。
なお、実際には「排日移民法」という独立した法律があるわけではなく、正確には、既存の移民・帰化法に第13条C項(移民制限規定)を修正・追加するために制定された「移民法の一部改正法」のことを指す。「排日移民法」という呼称はその内容に着目して主に日本国内で用いられる俗称である。運用の実態はともかく、移民制限規定そのものは日本人のみを対象としていない。その点より、この俗称は不適切であるとする意見もある。
●埴原書簡問題
米国務省長官ヒューズと駐米大使埴原正直は、紳士協定の内容とその運用を上院に対して明らかにすることが、排日的条項阻止のために不可欠であるとの判断で一致した。こうして、埴原がヒューズに書簡を送付、ヒューズがそれに意見書を添付して上院に回付する、という手筈が整った。ところが、埴原の文面中「若しこの特殊条項を含む法律にして成立を見むか、両国間の幸福にして相互に有利なる関係に対し重大なる結果を誘致すべ(し)」(訳文は外務省による)の「重大な結果(grave consequences)」の箇所が日本政府による対米恫喝(「覆面の威嚇」veiled threat)である、とする批判が上院でなされ、法案に中立的立場をとると考えられていた上院議員まで含めた雪崩現象を呼んだ。「現存の紳士協定を尊重すべし」との再修正案は76対2の大差で否決され、クーリッジ大統領も拒否権発動を断念、日系人は「帰化不能外国人」の一員として移民・帰化を完全否定されることになった。(Wikipediaによる)


●立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科主催の2006年度連続公開講演会の第6回目として行われました。次回は10月30日(月)、シーラ・ラムゼイ氏による講演「パーソナル・リーダーシップ クリエイティブに文化を超える!」がある。(問い合わせ 電話:03-3985-4732 メール:irw@grp.rikkyo.ne.jp)



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